なぜ美を気にかけるのか: 感性的生活からの哲学入門
手短な要約
- 三者とも、仮想敵としているのは美的価値についての**理想化された美的快楽主義[SAH]**と、それが与える美的生活の描像。西洋美学はこれに偏りがちだった(と言われがち)。
- どんな描像?:芸術作品が鑑賞者にどれだけの美的快楽を与えるのかを、趣味の良い批評家が正しく判断することが、美的生活の中心である。
- 芸術偏重:美的対象といえばハイアート
- 快楽偏重:美的価値があるとは、美的快楽を与えられるということ
- 紳士偏重:美的専門家といえばハイブローで趣味のよい個人
- 判断偏重:美的活動といえば美的快楽を味わい、正しい美的判断をくだすこと
- どの論文も、少なくともひとつの偏重を批判しており、「美的生活にはもっといろいろな側面がある!」という主張を含んでいる。
- Nanay:肝心なのは能動的な美的経験であって、判断はつまんないよね。
- Riggle:食べ物文化みたいに、個性と自由のある美的共同体っていいよね。
- Lopes:美的生活では、普段と違うことを試しやすいからいいよね。
私の感想
- イントロダクション
- 「美的生活」という主題が非哲学者にも分かりやすく導入されていてよい。実質、日常美学のイントロダクションにもなっている。
- Infinite Jest Liteの思考実験(あらゆる作品を凌駕して面白いので、もうそれだけ見ればいいじゃんと思わせる映画)、面白い。同じような思考実験について書いたことがある。
- Nanay論文
- クリアで説得的な論文。問いに対する仮説を検証しつつ、さまざまな美学的トピック(ハイカルチャー偏重、顕示的消費、ギルティープレジャーなど)をさばいていく。Nanayが現代美学における最も優れた書き手のひとりであることに疑いの余地はないだろう。
- 達成としての能動的な美的経験が大事なのだという趣旨は、注でも挙げられているが、美的従事[engagement]が大事なのだとするNguyen (2020)の立場と似ている。(もっとも、グエンにとっては美的判断というゴールもそれはそれで大事。)
- 美的経験の共有、社会的側面、共同達成については気になる論点だが、ごく手短に触れているだけ。Polite (2019)が音楽経験の共有について書いている。
- Politeがちょっと引いているが、共同的[joint]あるいは集団的[collective]な行為については社会存在論の方面で盛んに論じられている(三木 2022; SEP)。著者三人の関心が重なるところなので、今後もっと読まれていくかもしれない。
- PoliteはNanay (2019)の書評も書いており、自身のYouTubeチャンネルにNanay, Lopes, Lopesをそれぞれ招いてディスカッションもしている。
- 美的価値論としてどう読めば良いのかいまいちわからない。標準化を組み込まない、主観主義的な経験主義?
- Riggle論文
- Nanay論文とはだいぶ違うスタイルで書かれた論文なので、同じものを期待して読むとだいぶとっつきにくい。
- 中心的な主張については、もう少し整理してくれないことには同意も批判もできない。
- Lopes論文
- 美的違いの三つの次元(①good-making featuresはいろいろ、②ジャンルはいろいろ、③美的活動いろいろ)というのが、簡単そうで結構難しい。Lopes (2018)を1節で要約しようとしているのだから、当然といえば当然か。
- 実践にとってのインサイダー/アウトサイダーの話、分かりやすい。正しいとも思うし、応用もききそう。
- 〈美的生活は内在的に多元主義的〉という趣旨の第3節は結構論争的。検討するとしたらここだろう。美的生活では人とは違う意見を気楽に持てる、というのは本当か。
- 論証ステップを明示するパートをつけてくれているの、えらい。
- ブレイクアウト
- トピック(意見対立、主観主義、民族中心主義、流行、美の神話)はどれも面白いが、行儀よく無難なコメントが多く、そんなにグッとこない。
- 三人の意見がはっきりと対立する場面はほとんどないし、対立が生じかける場面(例えば、Nanayが美的経験の個人的・主観的側面を強調する場面)でも、それ以上議論が深まることなく流れてしまう。
- 結果として、ディスカッションというより、アンケートへのそれぞれの回答を並べたような印象を受ける。もっと敵対性があってほしい。