Irene Martínez Marín, The Aesthetic Enkratic Principle - PhilPapers

$\color{#FFF}\colorbox{#000}{\textsf{Abstract}}$

合理性には構造的合理性と呼ばれる次元があり、それによれば合理的であるということの典型例とは、アクラシアでないことである。哲学者の中には、美学は合理性の範疇に含まれると主張する者もいるが、特定の態度の組み合わせを禁止する非アクラシア制約は、この領域ではまだ開発されていない。本稿は、そのような要件がもっともらしいかどうか、もしそうだとして、それは美的合理性の実際の要件なのかどうかという問題に関心を向ける。最終的に本稿は、美学は主体の心的状態の首尾一貫性(美的なケースでは、判断されるものと美的に好まれるものの間の一貫性)を必要とするという点で、他の領域と変わらないという見解を擁護する。

$\color{#FFF}\colorbox{#000}{\textsf{Table of Contents}}$

1 美的合理性の構造 The Structure of Aesthetic Rationality

<aside> ❓ 問い:(1)美学でもアクラシアを禁じる合理性要件があるのか、(2)それは美的合理性の要件なのか。

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Jackson Pollock, Convergence, 1952.

Jackson Pollock, Convergence, 1952.

Intern

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<aside> 📌 実践的自制原理:人は、φすべきであると信じているからにはφしようと意図することを、合理性から要請される。 (Practical EP): One is rationally required to intend to φ whenever one believes that one ought to φ (Broome, 2013b).

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<aside> 📌 理論的自制原理:人は、持っている証拠に照らして支持されないと信じている事柄を、信じないよう、合理性から要請される。 (Theoretical EP): One is rationally required not to believe something that one believes to be unsupported by the evidence one possesses (Horowitz, 2014).

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