I 創造の謎
- 創造については古代ギリシャから謎がいっぱい。
- なぜそもそも芸術家は創造するのか、は扱わない。
- 説1:意識的な動機がある。名声、お金、愛、権力など。
- 説2:無意識の欲求や衝動がある。(知らんけど)
- inceptive element:創造においてはじめに生まれる、小さな断片、アイデアのかけら。
- 芽[germ]、細胞[cell]、種[seed]、核[nucleus]などと呼ばれるが、ミスリードな呼び名もある。
- 芸術家の頭に浮かぶこともあれば、猫が鍵盤を踏んだり泥の模様を見るなどして、外部から偶然に得ることもある。
- 創造プロセス[creative process]:「なんか思いついたぞ…?」から「完成だ!」までの間にある、ひと続きの心的・身体的活動。
- 問い:この間にはなにが起こっているのか、ここにある段階やフェイズを経て、いかに芸術作品が存在し、その性格を帯びるようになるのか。
II 創造パターンを探して
- 創作には、ひとつの普遍的なパターンがあるのか?
- 個々の芸術家の習慣や気質や、使うメディウム、製作中のあれこれなど、いろいろ違いが生じるが、その上に**通常の創造パターン[normal creative pattern]**は認められるのか。
- 【根拠1】あらゆるメディアにおいて、芸術作品が持つ共通の性格(まとめあげるための特徴)があれば、それが創造パターン。似たようなものは、似たような手段で作られているはず。
- 【根拠2】美的経験とのアナロジー。共通する鑑賞パターンがあるなら、創造パターンがあってもよいだろう。
- 【根拠3】他の種の創造とのアナロジー。デューイによる探求・問題解決のプロセスについての説明。実践的・科学的問題は多様だが、取り組み方にパターンがあるなら、同じく多様な芸術においてもパターンがありえそう。
- 近年、芸術作品に共通の特徴があるとか、普遍的な美的経験があるとかは疑われている。
- 反論は強烈だが、個人的にどちらの理論もまだ捨てる気にはなれない。
- ともあれ、実際に創造パターンがあるかは、直接調べてみるのがよりよい。
- 芸術家:まさにアイデアが降ってきたり、作業したりしている当人。自分の心について知っているはず?
- 懸念:しばしば気まぐれで奇妙なことを言っており、意図的にミスリーディングにしている輩がいる。
- 例:ピカソ「私はフォンテーヌブローの森を散歩している。そこで私は緑色の消化不良を起こす。この感覚を絵の中に空っぽにしなければならない。緑が支配している。画家は、まるで自分の感覚と幻影から自分を解放するために緊急に必要であるかのように絵を描くのだ」
- それって胃酸過多のときにグレープフルーツジュース飲んでね?緑過剰なら、キャンバスには赤を塗らね?
- 創作プロセスや最中の心情については、いろいろメタファーが語られてきた。
- 例:鉤型の原子、無意識の深い井戸、織り機、消えゆく石炭、コンピューター。
- ジェームズは『ポイントンの戦利品』について、語っていることと制作記録が齟齬をきたしている。
- おそらく、芸術家の発言よりも、スケッチやドラフトのような記録のほうが参考になる。
- 心理学者:芸術家の無意識をがんばって研究しているようだが、あまり確立された結論がなさげ。
- ルドルフ・アルンハイムらゲシュタルト心理学者の仕事はとりわけマシ。ゲルニカの研究。
- キャサリン・パトリックによる心理学調査:詩人に絵を見せてから詩を書かせる。制作中は喋ってもらい、それを速記で記録する。/逆に、画家に詩を見せてから絵を描かせる。
- Graham Wallas「準備、孵化、閃き、推敲」のプロセスがたしかに確認できた。
- しかし、データを見る限り、プロセスが混在し、同時進行していると見たほうが正確。
- 哲学者:芸術家や心理学者の見識をまとめようとしているが、すぐ一般的・理想的・理論的な考察へと入り込んでしまう。
- 例:感覚を直観に変換する、神託を得る、身近な経験の原子を入れ替える、感覚的形式の理想を体現する、仮定から結論を導く、実存の権威を確認している、などと言われる。
- しかし、自分はこんな野心的な理論を探しているわけではない。
III いまいちな見解:推進説と最終説
- 傑作とそのアイデアのギャップがすごいので、よほど創造プロセスがうまくいったのだろうと思わされる。
- 問い:幸運な偶然もあるだろうが、部分的にはコントロールされたプロセスのはず。このコントロールの本性とは?
- 超自然主義的な説明:古代ギリシャでは、神の霊感説(ミューズのおかげ)というのが広まっていた。
- 自然主義的な説明はふたつ。
- 推進説[propulsive theory]:あらかじめ制御エージェントがおり、創造プロセス全体を統率する。
- 最終説[finalistic theory]:プロセスが目指す最終的な目標こそが、制御エージェントとなる。
- がっちり区別する必要はない。
- 少なくとも、二種類の失敗[error]がある。
- 推進説の典型例は表出理論:コリングウッド「正体の分からない感情を意識し、創作に向かう」「心が軽くなり、楽になる方向で作業する」「感情の明確化が目的、なんの感情であるか発見したい」
- コリングウッドは、創作プロセスに先立ち、作業中も同一性を維持するひとつの感情を想定している。
- 反論:感情に同一性の原則を与えることができない。
- コリングウッド「見つけようとしてはじめてどんな感情なのか見つけられるとしたら、どんな情動を表出しようかと決定してから作品による表出を開始することはできない」。
- 表出できてしまったあとから、どうして、最初に表出したがっていた感情はそれなのだと分かるのか。はじめのものは未知なので、比較ができない。
- 完成後の感情は、創作を駆り立てた感情ではなく、創作の完了がもたらす感情かもしれない。原因ではなく結果。
- キツイ主張:コリングウッド「芸術家であるからには、喜劇、悲劇、エレジーみたいなものを書こうとすることはできない」
- 曰く、真の芸術家は次のように言う:「なんか感情が降ってくるのを感じる」「なにか書いてみないことには、それがなんなのかは分からない」「なしとげたことを見てみないことには、自分がなにを感じているのか知り得ない」
- はじめから悲劇を書こうとして自分を枠にはめてしまうと、結果は芸術にならない。
- 反論:感情を明確化する、という概念自体が曖昧。
- 例:大規模な交響曲を完成させたブルックナーは、作る前より感情が明確になっている?とは思われない。大きな感情ではあるが、明瞭かどうかは定かでない。
- 例:モーツァルトのト短調交響曲は冒頭がもっとも明確さを持つが、不明確な感情を抱いていた部分から作り始めた、と考える理由がなにもない。
- 例:何年間も作業する場合、ずっと同じ感情がそこにあり、明確化の努力をしていた、というのも変。
- 最終説(目標志向説)の典型例はDavid Ecker。
- デューイにならい、創造プロセスを「質的な問題解決」と呼ぶ。
- 「この色・形を使えば、こうなる」などの一連の問題+解決からなる。
- 曰く、問題は作品自体のうちにある。メディウムにおいて作業するのであって、言語化される必要はないし、言語化(検証、仮説)するとミスリードになりがち。
- ともかく、目的と手段からプロセスを語れる。
- 詩人は、悲劇や喜劇を書くつもりではじめなければならない。でないと、解決すべき問題がないから。
- ヘンリー・ムーア「時には、解決すべき問題をあらかじめ考えずに、ただ紙の上に鉛筆を使い、線、色調、形を意識せずに描き始めることがある。あるいは、決まったテーマから始めることもある。あるいは、寸法がわかっている石の塊の中で、自分自身に課した彫刻上の問題を解決し、それから意識的に形の秩序ある関係を構築しようとする」
- この発言の前半は、あらかじめ取り組もうとする問題があるとは限らないことを示している。
- ランダムに書いた線や「主題」から始めるとしても、「問題」があるとは言えない。問題とは?
- どう線を引いたら、石を削ったらよくなるだろう、みたいなのは問題か?作家が自発的に引き受けた課題でしかない。
- 次になにしよう、という問いしかない。
- また、特定の解決策が求められるかもしれないが、彫刻家が達成するようなものではない。
- 芸術において目的/手段の語を用いるのに反対。
- 実際にベッカーらが話しているのは、領域的質とその知覚的条件の関係について。
- 例:涼しげな緑は後退する平面のための”手段”ではなく、平面を後退させるのに役立つ視覚デザインの局所的特徴のひとつ。
- より小さな局所的質に依存して、より大きな領域的質が出てくる。
- キュビスム、印象派、表現主義のような質を得ることを目的として、線や色を配置する?
- ベッカーはすでに、視野の中の目的が「広範な質」(p.286)と同様に「何らかの意図された秩序」であるかもしれないことを認めている。
- 線や色の配置が目的であって、予想外の領域的質が伴うことは珍しくない。この場合、色彩の選択はもう手段ではない。
- 領域的質が局所的質に依存することから、前者が常に目的で後者が常に手段である、とは言えない。
- デューイの引用。領域的質は、あらかじめ画家の心にあったということか?
- そんなことはない。
- 例:最終的な絵画は、決定的な線と形態の連動によって、半幾何学的な固さと硬さを特徴としている。
- 領域的質は程度問題であって、最初の一筆から弱く存在していたものが、強化されていくプロセスである。
- 最終的な質は、最初からそれが目的だったのではなく、なるべく強化した結果の一番ベターな状態。
- 偉大な作品のドラフトを見れば、その素晴らしい質がすでに現れていることを見出すことは珍しくない。
- 路線変更して、まったく違う質を持ったものに仕上がるのも珍しくない。
- 段階ごとに目指す質がブレるからといって、芸術性が落ちるわけではない。
- Vincent Tomasによる反論:はっきり定義されたゴールはないが、どこかに向かっている感覚はある。
- そして、こっちは間違っている、という感覚もある。
- 曰く、創造とは自己修正のプロセスであり、常に目標を方向転換させていくもの。
- 詳しくは説明してくれていないが、正しいと思う。以下ではこれを発展させ擁護する。
IV イケてる見解:修正し続ける
- 作品の構想[incept]、展開[development]、完成[completion]
- 構想:物語の最初の文や最後の文、単純なプロットの状況、キャラクター、テーマ、シーン、言葉の形、トーンやスタイルなど**。**
- 例:ヴァレリーの作曲方法
- ほかの例:スペンダーの詩
- 問い:構想はほんとうに、創作プロセス全体に影響を及ぼしているのか。
- 推進説が正しければ、最初の感情がプロセスを支配する。
- 最終説が正しければ、構想された目標がプロセスを支配する。