【初出】Beardsley Monroe C. (1983). An Aesthetic Definition of Art. In Hugh Curtler (ed.), What Is Art? (New York: Haven Publications, 1983), 15-29.
【再録】Lamarque, Peter & Olsen, Stein Haugom (eds.) (2019). Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition, An Anthology (2nd edition). Wiley-Blackwell.
- 「芸術とはなにか」という哲学的問い。
- 「芸術」といった語をみんながどうやって使っているのか調べるという課題ではない。
- 「芸術」という語で注意を促される現象の重要な特徴や区別に関する決断と提案[decisions and proposals]を要する。
I
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【問い】なぜ芸術の定義が必要なのか?
- 語の意味を固定し、確立し、安定化するために定義がいる。
- 「芸術の哲学」がなにについて哲学したり批評してるのかはっきりしてうれしい。
- 芸術批評や芸術史にとってもうれしい。
- なぜあるものを扱い、別のものを扱わないのかを説明するために、きっちりした定義が必要になる。
- どれに関税をかけ、どれに芸術基金をあてるかを決めるのにも必要。
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とりわけ、文化人類学的に重要である。
- ある活動が、宗教的、政治的、経済的、医学的なのか、芸術的なのか。
- 多様性はあれど、ほとんどの社会に共通する文化的要素・次元としての芸術を理解したい。
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【悩み1】「芸術活動」から「芸術作品」を定義するか、「芸術作品」から「芸術活動」を定義するか。
- 「芸術活動」→「芸術作品」:芸術活動において生み出される対象が芸術作品である。
- 「芸術作品」→「芸術活動」:芸術作品を生み出す活動が芸術活動である。
- あとで考える。
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【悩み2】広義ではなく、狭義の芸術について知りたい。
- 広義の芸術概念:医療、セールス、オートバイの整備、料理、戦争と並ぶ特定の技術[skill]。
- 狭義の芸術概念:美術館の壁の油絵、本のなかの詩、コンサートホールで音を出したりするような活動として切り出されたもの。
- 絵画、詩、音楽の作曲や演奏をひとつのクラスとして集める仕方を示してくれるような概念が必要。
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「制度」概念を持ち出すことはほとんど助けにならない。
- 【攻撃1】非制度的な芸術を定義上不可能だとするのがしんどい。
- 芸術活動には、しっかり制度化されたもの、慣習的なもの、繰り返されるが「実践」というほどではないものなど、いろんなレベルがある。
- 【攻撃2】制度から定義するのは、論理的に順序が逆。
- 見知らぬ社会に関して、その商業制度を特定しようとするならば、経済的な性格がすでに認められる、持続的で協力的な集団活動(物々交換や買いだめなど)をまずは探す必要がある。
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【攻撃3】現代では芸術はなんでもあり、言ったもん勝ち、というわけにもいかない。
- 「これは芸術だ」という文自体が行為遂行的であるとすれば、この文は間違いようがないということにもなってしまう。
- 芸術と非芸術の区別を取っ払おうという努力には混乱がある。
違いを無視しようと心に決めたからといって違いが消えるわけではないし、違いを抹消しようとする前衛芸術の努力は、重要であり、適切な用語によってマークされるのに値する違いを探し出すという哲学的課題とはなんの関係もないのだ。(24)
But differences do not disappear just because we resolve to ignore them, and the avant‐garde effort at erasure has no bearing on the philosophical task of finding out what differences are significant and deserve to be marked by appropriate terms.
<aside>
💬 コメント
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この論文では随所で制度説に対抗しているようだが、具体的な論者(ディッキーとか)の名前は挙げられておらず、やや藁人形的にイマジナリーな制度説を叩いている。
- 【イマジナリーな制度説1】芸術である ⇔ 誰かが「芸術である!」と宣言することで、芸術としての身分を付与している。
- 【イマジナリーな制度説2】芸術である ⇔ アートワールド=芸術ギョーカイのみんなで公式に「芸術である!」と認可している。
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例えばディッキーは「芸術という身分」が授与されるとは書いてないし、芸術かどうかを公式にジャッジする団体があるとも書いていない。
【Dickie (1974)】分類的な意味での芸術作品とは、1)人工物であり、2)ある社会制度(アートワールド)を代表して行動するある人ないし人々をして、その諸側面の集まりに対して鑑賞候補の地位を付与せしめたものである。
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最近は、誤解の何割かはディッキーのネーミングがわるいせいでは、という気もしてきた。
- 「鑑賞されるよう意図されてる人工物」ぐらいの定義として読めるので、「鑑賞」の中身にもよるが、実はビアズリーとほとんど同じこと言ってるんじゃないかとすら思う。
- 「鑑賞」は「美的経験」より広いと思うが。
</aside>
II
- ある社会における芸術作品が分かれば、それと相互作用している活動を取り出して芸術活動だと言える。
- しかし、なんらかの線引きは必要である:小説の編集者やダンスの指導者が明らかに芸術活動をしているのに対し、小説の植字工やダンサーの体調を整える医師は明らかに芸術活動をしていない。
- 中心となる重要な芸術活動はふたつ。
- 【中心となる芸術活動1】芸術制作[art‐making]あるいは芸術創造[art‐creating]。ここでは、**芸術生産[art‐production]**と呼ぶことにする。
- 生産:作る[making]、変える[altering]、組み立てる[assembling]、つなげる[joining]、配置する[arranging]、そのほかのアクションや、特定の行い(ダンスなど)も含む。
- 生産される物はつねに物理的な対象や出来事であり、なんらかの知覚可能な性質を持つ。
- 知覚されない性質もある:意味やメッセージ、感情やイメージを呼び起こす能力など。
- コンセプチュアル・アートも(芸術であるかどうかはともかく)生産物だと言える。
- 【問い】芸術生産とほかの生産(宗教とか)をどう区別するか。
- 生産様式や結果=生産物ではなく、生産する上での意図から区別するのがよさそう。
- 具体的にどのような意図が芸術生産に必要かはあとで考える。
- 【中心となる芸術活動2】受容[reception]:彫刻、文学の朗読、映画、オペラなどの前で、あるいは、それらの複製物や報告、記憶に反応して行われるさまざまな活動。
- 見る、聴く、熟考する、理解する、観る、読む、考える、熟読する、など。
- こういった受容において、経験はなんとも言いがたい仕方で引き上げられている[lifted]。
- 受容するものの外の事柄に対する懸念からの解放感、実用的目的とは無縁の激しい感情、洞察力を発揮する爽快感、自己とその経験とを一体化させる感覚。
- これは美的性格[aesthetic character]を持った経験、美的経験である。
- 芸術生産の生産物を受容するとき、私たちはもっぱら美的関心[aesthetic interest]を持ち、美的経験を得ようとする。
- 「関心」は二重の意味で使っている。
- なにかに接近し、それと相互作用し、そこから得られると期待される経験の美的性格に関心を持つとき、そのなにかに関心を向ける[take]。
- 経験自体に価値があるため、それを得ること自体が利益であるという意味において、経験に関心を持つ[have]。
- 美的経験は望ましいものであり、価値を持ち、人間の真正の関心を満たす。
- すると、芸術作品は次のように定義できる。
<aside>
💡 芸術作品とは、美的関心を満足させる能力を持つよう意図して生産されたものである。
An artwork is something produced with the intention of giving it the capacity to satisfy the aesthetic interest.
</aside>
- これは、芸術の美的定義、すなわち美的なものによって芸術作品を定義するアプローチのひとつ。
- ほかの美的定義もあるかもしれないが、ここでは上のものしか扱わない。
- 【補足】特定の人や集団だけに美的経験をさせるよう意図されたものでもOK。
- 実際には誰が美的経験をするのか芸術家は知らなくていいし、誰にも美的経験を与えることなく破壊されてしまうのでもOK。
- 作品とちゃんと相互作用するにはかなりの才能と知識が必要だったりするかもしれないし、芸術家は作って満足して、そのまま封印するかもしれないが、それでもOK。
- 「もし必要な資格[requisite qualifications]を持った人がその作品に美的関心を持ったとすれば、その関心はある程度満たされる」ということであれば問題なし。〔反実仮想での定義〕
- 「満足」は程度問題だし、完全な満足でなくてもOK。
- 美的関心を満足させるものを作り、それを共有したいという衝動は、多くの社会において非常に重要なものであり、制度の成立(芸術活動を育成するという目的を明確に認識した継続的なグループの成立)を望むようになるのはずっと後。
- やがて伝統が生じ、ある活動をするのに適格/不適格、よい/わるい仕方が広まっていく。しかし、美的関心を満たすものを作るのに、伝統は不可欠ではない。
- 伝統から逸れた作品は、伝統に沿った作品と同様、芸術として認めなければならない。