美的知識の源泉はなにか。経験的知識は一般的に、知覚に根ざしたものだと考えられる。そういった知識は証言を通して他人に伝達可能であり、記憶に保存可能であり、推論を介して増幅されうる。しかし、肝心なのは知覚なのだ。美的知識についてはどうか。美的知識も、知覚に根ざしたものなのか。多くの人はそうだと答えるが、これは間違っている。美的知識に関しては、肝心なのはappreciationであって、知覚ではない。美的知識の究極の源泉は感情である。本論文では、情動的知識という考えそのものを明確化・擁護し、美的知識がこの属の一種であることを明らかにする。そして、この見解が美的認識論者たちを悩ませてきた厄介な問題をどのように解決するかを示す。すなわち、美的知識の直接的だと思しき性格と、批評からこのような知識を獲得する可能性を、いかにして調停するかという問題である。批評は、ある対象への人の関与をガイドし、それをappreciationに値したものにする特徴ゆえにappreciateできるようにするとき、人は批評から学ぶことができるのだ。

1 美的批評のパラドックス The Paradox of Aesthetic Criticism