<aside>
📌 問題の所在
- 「エージェンシー[agency]」というめっちゃ曖昧な概念がある。
- 「行為者性」と訳されたりするように、行為[action]において人間が動員する諸々の能力や気質をざっくり指しがち。
- PhilPapersのカテゴライズだと、行為の哲学の下に「Agency」が含まれている。
- 単なる因果ではなく、人為的に引き起こされた因果、というので自由意志の哲学に絡んだりするみたい。
- いや、行為だけじゃなくて知識や感情の行使もagencyだよ、という人たちもいるみたい(ゴロデイスキーもそのひとり)。
- 美学では、以下がagencyを扱った本として有名。
1 イントロダクション
- 美的な価値との関わりは人生のあちこちに浸透している。
- 例:履く靴を選ぶ、世界遺産を見に行く、音楽アルバムをおすすめする。
- ここには、「美的エージェンシー」と呼ぶに値するものがあるのだろうか。
- エージェンシーは実践アプローチから語られがち。
- 実践アプローチ:エージェンシーとは意志ないし意図的行為の能力のこと。
- なので、美的エージェンシーはほとんど語られてこなかった。伝統的に、美学は行為じゃなくて鑑賞[appreciation]に焦点を合わせてきたので。
- 〔いつもの話だが、ここでのappreciationは単にアイテムと直面することではなく、堪能したり好んだりのニュアンスがはじめからある。〕
- しかし、人間は自発的態度を超えてエージェンシーを行使しているので、エージェンシーと意志の同一視はよくない。
- 信念、感情、欲求、その他の動能的・情動的態度、そして美的鑑賞も、人のエージェンシーへと帰属されるし、不適切[inapt]なときには合理性の観点から批判される。
- 代替的なアプローチとして、正当性アプローチがある。
- 正当性アプローチは、実践アプローチでは扱えないような実践いろいろを扱えるだけでなく、後者のうまみも引き継いでいる。
- すなわち、エージェンシーは合理的感受性と活動によって形成され、合理的査定・批判・称賛にさらされる、という直観を捉えられる。
- 人間のエージェンシーと理由[reason]の結びつきを重視しているから。
2 美的エージェンシーの先行研究
- 美的エージェンシーが語られるようになったのはつい最近。
- Dyck (ms.):美的評価において選択し決定するために行使するエージェンシー。意志を動員しているとのこと。
- Nguyen (2020):美的経験やゲームの価値から、実践的エージェンシー一般の統合性や、動機の一次性および構造が分かる。
- Gingerich (ms.):エージェンシーの哲学は、創造性に突き動かされた活動や、理念や個人のスタイルを表明する行為を、不当に無視してきた。多元主義が必要。
- Wolf (2015, 2016):道徳的責任ばかり注目され、美的責任が見逃されている。とりわけ、創造した作品に対する芸術家の責任だが、それ以外にもある(チャーミングである責任、ユーモアを持つ責任)。
- Lopes (2018):いろんな美的実践に照らして、達成となるような行為にはする理由がある。美的価値はその他の価値と同じく、行為の理由を与える(プレーンバニラな規範性)。
- とみんな、エージェンシーの実践アプローチを受け入れ、エージェンシーをもっぱら意志の問題として捉えている。
- しかし、真正な美的エージェンシーを理論化したいなら、これじゃだめ。
- なぜなら美学の中心[primacy]は行為ではなく、鑑賞だから。
- Gorodeisky and Marcus (2018); Gorodeisky (2021a):鑑賞[appreciation]とは、鑑賞に値した対象だという意識および対象がそれに値するような鑑賞だという意識を含んだ、認知的-情動的態度。
- 〔他動詞のmeritに対応した他動詞の日本語がないから、いつも訳語に困る。英語としては、object as meriting appreciation、itself [appreciation] as merited by the object〕
- 以下、なにゆえ鑑賞が中心なのかふたつの観点から説明する。
2.1 鑑賞の中心性:値する、正当化する、成功
- あるアイテムの美的価値を追求する行為の理由は、そのアイテムを鑑賞する理由に依存している。
- 鑑賞を正当化しないアイテムにはそもそも美的価値がないから。(美的価値がある⇔鑑賞を正当化する)
- 鑑賞の正当性がなく行為が美的価値の追求行為として正当化されたりされなかったり、ということはない。(その他の正当化はあるかもしれないが)
- 美的に価値ある対象を鑑賞する理由はつねにあるが、鑑賞と独立に行為する理由はない。
- 美的に価値ある対象は、鑑賞理由を基礎づける限りで、派生的に、さまざまな行為理由をも基礎づける。
- 鑑賞することが正当化された対象だからこそ、美的価値の促進行為は正当化される。
- 例:美的価値がある、すなわち鑑賞に値する小説だからこそ、翻訳行為も正当化される。
- 〔ここではポジティブな美的価値しか問題にしていないのだが、ネガティブなほうはどうするんだろうか。disappreciationが正当化されているからこそ抑制行為も正当化される、みたいな?〕
- この正当化の依存性は、言葉遣いによって示されている。
- 「Kara Walkerの《The Jubilant Martyrs of Obsolescence and Ruin》は美的価値があるので展示する美的理由があるよ」と言いつつ、「美的に鑑賞する理由はないけどね」というのはおかしい。
Kara Walker’s ‘The Jubilant Martyrs of Obsolescence and Ruin’