- 美的価値の理論は規範問題に答える。
- 「この自転車には使い込んでる感[beausage]〔村山さん:使い込んでて美しい感。自転車界隈でよく使われる。〕がある」という事実が、〈AはCにおいてφすべきである〉という命題に重みを与えるのは、beausageに関するなにゆえなのか?
- ネットワーク理論を完成させる:エージェントが美的に行うべきこととは、社会実践の文脈において達成となるような行為。
ネットワーク理論 The Network Theory
- 美的価値beausageは理由付与的である ⇔ 「Rivendell社の自転車はbeausageである」という事実は、〈ある自転車愛好家が関連する美的実践においてある行為をすることは、美的達成になる〉という命題に重みを与える。
- 実践についてのダメな説明×2
- 美的実践は、アイテムによって個別化される?
- 異なる実践が同じアイテムを扱うかもしれないし、同一の実践だが異なるアイテムを扱うかもしれない。
- 美的実践は、メンバーによって個別化される?
- 同じメンバーたちが別の実践でも活動するかもしれないし、多くの美的実践はメンバーを入れ替えても成り立つ。
- メンバーが共有するなんらかの特徴が、美的実践を個別化している。どんな特徴か?
- 前章で見たように、美的実践を個別化するのは認知的スキーマとリソース。
- では、どんな認知的スキーマとリソースが、美的実践を特徴づけるのか?
- 同じ実践の美的エージェントたちは相互作用し、達成のための専門能力を発達させる。
- そのためには、美的に調子を合わせる[get on the same page]必要がある。
- 例:美的良さの理解を共有し、ソフトな化粧スタイル、ホッピーなビール、修正モダニズム建築に関して、収束しなければならない。
- なにをもって頼りない[wonky]とか侘び寂びとかbeausageとするかは、美的実践によって異なる。
- ネットワーク理論の第三にして最後のpassは以下のようになる。
<aside>
📌 ネットワーク理論:ある美的価値Vは理由付与的である=〈xはVである〉という事実は、〈AがCにおいてφすることは美的達成となるだろう〉という命題に重みを与える。ここにおいて、xは美的実践Kにおけるアイテムであり、Aのφする能力はKの美的プロファイルに揃えられている。
NETWORK THEORY: an aesthetic property, V, is reason-giving = the fact that x is V lends weight to the proposition that it would be an aesthetic achievement for some A to φ in C, where x is an item in an aesthetic practice, K, and A’s competence to φ is aligned upon K’s aesthetic profile.
</aside>
- ある人を美的実践Kのメンバーにするのは、Kの「美的プロファイル[aesthetic profile]」に「揃えられた[be aligned upon]」美的能力を持っていること。
- 先程の「美的に調子を合わせる」というメタファーはこれのこと。
- メンバーの持つ特徴が美的実践を個別化する。
- 以下、二節かけて「美的プロファイル」の概念を説明する。
- 能力を「揃える[aligning]」というアイデアは、一組のコア美的規範の点から理解される。
- 〔ある美的プロファイルにbe aligned uponは、「即している」「沿っている」ぐらいで訳したいところだが、能動のaligningも拾えるように、ちょっと硬いが「揃える」で訳してみた。〕
シブリー的な価値の色合い Sibleyan Shades of Value
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シブリーの遺産としてもっとも深く、しかし十分評価されていないのは美的価値多元論。(Sibley 1959; 1965, 2003b; see also Zangwill 1995)
-
美的価値一元論によれば、美的価値はあるひとつの価値性質でしかない。
- 美的価値の範例についてはいろいろ認める:アジェによる取り憑くような[haunting]写真、クロード・コーミアによる活気に満ちた[vibrant]庭園。
- しかし、非価値的要素が異なるだけで、美的価値の部分は同じだとされる。
- 例:hauntingとは①美的良さ+②誰もいない場所の描写、vibrantとは①美的良さ+③色合いの補完性。
- 範例的な美的価値性質は、いずれもある単一の性質(①)を含んでいるからこそ美的価値性質なのだ、という考え。
- 〔美的価値は、①評価的要素と②記述的要素から成るというやつ。一元論によれば①はぜんぶ同じで、②のレベルでヴァリエーションが生まれていることになる。〕
- 〔ただし、あとで補足があるが、これは美的概念にまつわる、語やその用法の話ではない。価値についての形而上学なので、評価的/記述的に対応づけるのはややミスリードかも。〕

A shot by Atget of a Parisian street

Claude Cormier’s Blue Stick Garden
- 美的快楽主義は典型的な美的価値一元論。(Goldman 1990; Levinson 2001; Goldman 2006)
- 唯一の美的価値は、最終価値のある経験から構成される価値のこと。
- hauntingかvibrantかは、非価値的な部分での違いでしかない。
- 〔価値ある経験についていろいろ認める経験主義なら、美的価値についても多元論をとれるかな?〕
- 美的価値多元論とは?
- Sibley (1974: 113–15):美的良さはdeterminableで、hauntingとかvibrantはそのdeterminateたち。
- 特徴1:あるdeterminate性質を例化するアイテムは、その性質を下位に持つdeterminable性質をすべて例化する。
- 例:hauntingな写真は美しいし、プレーンな意味でも良い。
- 〔beautifulはhautingと同じ並びでもなければ、美的良さと同じ並びでもなく、その間? 特別扱いっぽいが、どこかに説明あったか。〕
- 特徴2:逆に、なんらかのdeterminable性質を持つものは、より下位のdeterminate性質たちのどれかを例化する。
- 例:なんらかの仕方で美しい(例えばvibrantである)ことなく、ただ美しいということはない。
- とにかく、vibrantは①(端的に)美的に良い+②独立したなんらかの特徴、というわけではない!
- 類比:スカーレットとクリムゾンは赤のdeterminateたちだが、それぞれ赤さ+なにか独立した特徴、というわけではない。赤さを共有した上で、どう赤いかが異なる。
- 同様に、hauntingとvibrantも(良さを共有しつつ非美的な部分が異なるのではなく)どう美的に良いのかが異なる。どちらも、美的良さのdeterminateなのである。
- determinable/determinate関係は、その他の類[genus]/種[species]関係とは対比される。(Wilson 2017)
- 例:パソコンやスマートフォンはそれぞれコンピューターという類の種である。類の構成的性質(電子的な情報処理装置である)を共有し、さらなる独立した性質(物理的な次元やエルゴノミクス)において異なる。
- 〔チワワと柴犬の違いと、小さい犬と大きい犬の違い。前者は犬というdeterminableに対するdeterminateレベルの違いであり、どういう仕方で犬であるのかの違い。後者は犬であることとは独立した事実(サイズ)に関する違い。犬/チワワはdeterminable/determinateだが、犬/大きい犬は違う。〕
- determinable/determinateは、独立した性質から区別されることはない:スカーレットとクリムゾンを区別するのは、それぞれの赤としての色合い[shade]。
- 同様に、hauntingとvibrantも美的良さというdeterminableを共有しつつ、色合いとして異なる。

- ネットワーク理論は、美的価値多元論を示唆する。
- 例:写真のhauntingさがAにφする理由を与え、庭のvibrantさがA’にφ’する理由を与える。
- 一元論者によれば、hauntingとかvibrantとかは、+α部分が違うだけで、美的価値性質としては同じ。だとすると、なぜAにはφを、A’にはφ’を理由付与するのかが分からない。
- +αの「無人を描写する」とか「補色を使っている」という違いから、付与される理由が変化すると言うのはしんどい。〔一元論によれば価値的でない部分なので、理由を与えることはない〕
- ネットワーク理論は、美的価値多元論ありきで、美的価値の規範性を説明する。
- 美的価値のあり方がそれぞれhauntingとvibrantで異なるので、AやA’にとってすべきだと理由付与する行為が異なる、という説明。
- hauntingであることとvibrantであることは、単一の美的価値を共有しているのではなく、それぞれbeautifulの異なるあり方である。
- 補足:この美的価値一元論vs多元論を、美的概念に関する似て非なる議論と混同してはならない。
- たしかに、hauntingとかvibrantといった概念は、評価的要素と非評価的要素からなっている。
- これらの概念を持つことは純粋に非評価的特徴の概念のみを持つことである、と考える人もいる。(Zangwill 1995; Levinson 2001)〔「優美で良い」などと言われない限り「優美である」単体は純粋に記述的でしかない、と考える人たち。〕
- これに反対し、美的概念は評価することなく非価値特徴だけをピックアップすることはない、厚い[thick]概念なのだとする論者もいる。(Bonzon 2009)〔美的概念はつねに価値含みだ、とする人たち。バーナード・ウィリアムズの影響。〕
- ここで問題としているのは、価値についての一元論vs多元論であって、評価的概念についてのそれではない。
- 価値について多元論を認めつつ、美的価値概念が厚いことを否定する人もいるかも。Bonzon (2009)によればシブリーがそう。


美的プロファイル Aesthetic Profiles