〔六次の隔たり[Six Degrees of Separation]は、知り合いの知り合いをたどれば、6人以内には任意の人と繋がりうるという仮説。〕
標準化理論によって規範的問いに答える美的快楽主義:
<aside> 📌 標準化美的快楽主義:任意のエージェントA、ある行為φ、ある文脈Cにとって、美的価値Vは理由付与的である=xはVであるという事実は、〈CにおいてAがφすれば、Aの快楽を最大化することができるだろう〉という命題に重みを与える。また、Aの快楽主義的反応は、真なる判定者がなす共同評決のそれに合わせて調整されている。
</aside>
美的価値がとりわけ違いをもたらすのは、エキスパートたちの行い。
第1章で、確かな経験的観察からまとめた説明課題は以下だった。
標準化美的快楽主義は理想としての真なる判定者だけを考えていて、実在する美的エキスパートは誰もこれに該当しないのでダメ、と考えるのはさすがにフェアじゃない。
理想をゆるめて、美的エキスパートとは真なる判定者にかなり近似した存在だと考えてあげる。