発表者
銭 清弘|東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程|@obakeweb
銭 清弘|sen kiyohiro
銭 清弘 (Kiyohiro Sen) - マイポータル - researchmap
目次
キーワード
批評; 鑑賞; 芸術の価値; 美的価値
1 本発表の主張
- 〈批評とはなにか〉を考える上で、「批評とは鑑賞的反応のガイドである」というのは共通の基盤となりうる。
- 鑑賞や批評についての情動説には問題がある。
- 美的なもの(美的価値、美的快楽、美的批評など)と芸術的なもの(芸術的価値、芸術鑑賞、芸術批評など)を同一視すべきではない。
- 鑑賞や批評についての多元論がもっともらしい。
2 問題の所在
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❓ 問い:批評[criticism]とはなにか。批評家はなにを目的になにをしているのか。
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- 〈批評とはなにか〉をめぐる哲学的議論は、批評と批評でない言説を区別できる目的や作業を探してきた。
- 批評家がさまざまな目的を持ち、さまざまな作業に従事していることは誰でも認める。問題は、どれが批評としてのコアとなるような構成的目的・作業なのか。
- 候補としてGrant (2013: chap. 1)は、(1)選択の補助、(2)知覚の促し、(3)評価、(4)説明、(5)鑑賞の補助といった目的を検討し、どれも批評の構成的目的としてふさわしくないとしている。
- 一見すると、既存の特徴づけはシャープに対立しているように思われるが、私は次の点においてコンセンサスが形成できると考えている。
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💡 批評-鑑賞のバックパス原則
Aによる産物P(テキストやスピーチなど)は芸術作品xに対する批評である = Pは、その読者がxに対して行う鑑賞的反応をガイドするという機能を持つ。
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- バックパス原則への補足:
- バックパス原則への想定反論と応答:
- 「批評とはなにか」への直接の答えは、「鑑賞のガイドである」で終わり。
- しかし、これは大した前進ではない。「鑑賞的反応とはなにか」を明らかにしない限り、十分な答えにはならない。
- バックパス原則は、鑑賞を十分に特徴づけられれば、批評についても十分明らかになることを保証する。
- よって、争点となるのは鑑賞的反応とはなにか。
- 作品批評を行うことによって、批評家は読者になんらかの反応(鑑賞的反応)を促している。
- 任意の反応が鑑賞であるわけではないし、批評以外の芸術関連言説(広告、美術史、芸術哲学など)もたいていその受け手になんらかの反応を促している。どう線引きするか。
- 鑑賞[appreciation]を特徴づけるというのは、やっかいな課題である。
- 鑑賞者は作品に対していろいろなことをしている:注意を向ける、美的質(優美さ、けばけばしさなど)を知覚する、価値を認める、象徴を理解する、キャラクターに同情する、作品の背景を知る、感動する、好きになる。
- 語義もいろいろ:少なく見積もっても「appreciate」には、判断する[judge]、理解する[understand]、解釈する[interpret]、評価する[evaluate]、称賛する[admire]、堪能する[savor]、楽しむ[enjoy]、好む[like]といった意味合いが含まれる。
- 既存の理論は、強調点が異なるからこそ鑑賞観として対立しており、したがって批評観としても対立している。
- 「鑑賞」のあいまいさは、批評家の挙げる理由[reason]や、批評の合理性[rationality]をめぐる議論とも無縁ではない。
- ただ「こう考えろ」「こうやって見ろ」「こう感じろ」と言ってもそうしてもらえるとは限らない。「なぜそうすべきか?」という問いにさらされ、なんらかの正当化を求められる。
- そこで、批評家はしばしば理由づけ[reasoning]によって鑑賞的反応の促しをサポートしている:その鑑賞的反応をすべき理由=根拠を挙げる。ふつうは、作品の持つより低次の特徴や、作品の文脈に言及する。
- 読者は理由づけをミラーリングすることによって、促されている反応を正当なものとみなす。
- 類比:ある人物が悪人であることを分かってもらうために、その人の行った悪事を挙げる。
- 批評は合理的な活動なのか、どういうタイプの理由づけができるのかも、批評が促すものとして想定される鑑賞的反応次第である。